無駄話題も面白ければ取り上げるので役に立つかは人次第、ときには時間の無駄と思われても知人に教えて輪を広げる。それこそコネタの流儀!

2011年5月14日土曜日

アフリカの歌姫、『リンゴ追分』に込めたメッセージ

嘗てない歌声に会場の熱気は耐え難い猛暑のような惨状。
歓喜に打ち震える老人から何事かとうろたえる若者まで多種多様な反応を見せるがそんなことはお構いなしにステージは広がってゆくのです。

予想していなかった日本語による旋律に思わず目頭を押さえる。会場のあちらこちらから、すすり泣くような声が聞こえていた。

まだ冬の寒さも残る4月の初め、『第4回アフリカンフェスティバルよこはま2011』が神奈川県横浜市にある赤レンガ倉庫で開催された。
私が訪れたのはお昼過ぎ。会場2階のフロアには、アフリカ各国の様々なブースが出店し、大変な賑わいを見せていた。
ライブパフォーマンスがあると聞き、3階のメインステージへ。ほどなくして、西アフリカが誇る歌姫、ニャマ・カンテさんのライブが始まった。
日本人バンドを引き連れ、アフリカのマンデ語による歌を歌う。彼女のパワフルな声と体格を駆使した圧巻のパフォーマンスの最後に、ニャマさんは美空ひばりさんの代表曲『リンゴ追分』を日本語で歌い、ライブは大感動のうちに終了したのであった。

興奮冷めやらぬ中、ライブ後のニャマさんにインタビューをした。10年以上を東京で暮らすニャマさんが話す日本語には、時折たどたどしくなる部分もありつつ、まるで歌の調べのような美しい響きがある。
挨拶の後、さっそくライブの感動を伝えると、汗を拭きながら彼女は答えた。
「そぅそぅそぅ! リンゴのは絶対やりたかった! 初めて日本来たとき、“ヒバリ”の歌聞いたらすぐに大好きになった。だから今日のライブでは絶対やりたかったの!」

ギニア人の彼女は、西アフリカに代々続く“グリオ”と呼ばれる音楽一族に生まれ、コートジボワールに移住した後、ボーカルグループのメンバーとしてデビュー。国民的スターとなり世界中を飛び回る中、日本人の文化人類学者、鈴木裕之さんとの結婚を機に日本に住むことになった。
来日当初、不慣れな日本の生活にホームシックになることもあったそう。そんなとき出会ったのが美空ひばりさんのCDだったらしい。
「そぅそぅそぅ! “ヒバリ”の声は私のおばあちゃんの声に同じなのネ!」
自分の祖母の声と似ているひばりさんに親近感を覚えたニャマさんは、急速に日本の文化に惹かれていったという
彼女の家族が住むコートジボワールは、現在も不安定な政情が続いている。そんな故郷に馳せる思いも大きい一方、震災の被害にあった日本にも特別な思いがある。
この日、彼女が“どうしても歌いたかった”『リンゴ追分』は日本とコートジボワール、そして世界中の思いを繋げたい、というニャマさんからのメッセージなのだ。

ニャマさんは今後もライブ活動を積極的に行っていくという。5月14日には横浜大さん橋ホールで行われる在日フランス大使館主催のイベントに出演する予定だ。
「みんなで力を合わせてみんなで仲良ししなさい!」
帰り道、強い風が吹きすさぶ馬車道通りを歩きながら、ニャマさんがライブで言った言葉を何度も思い出した。
(小島ケイタニーラブ)